茨城県 | 小田城

2021年1月20日

2021.1.20 つくば市小田にて撮影

オダはオダでも、じゃない方🤣
現在のつくば市北東部周辺を治めていた小田氏とその居城。

この小田城と、小田氏最後の当主となった小田氏治は戦国マニアにとってはちょっと有名でして。
その戦いぶりからついた異名は、「戦国最弱の大名」……f^^;

と言うのも、この小田城を9回(※)も攻め落とされるという
戦国ではあり得ないほど負けてる大名であります。
(※)ソースが見つからなかったので他の方の受け売り。

北側の堀と土塁
曲輪の先は平野
建物跡

実際にこの城を歩いてみると、周囲は広大な平野が広がっていて
まー、守りには向かない土地であることは素人目にも分かります。

こんなところで戦うなんて、やっぱり戦国最弱だなぁ……
と思うのは早合点!

9回攻め落とされるということは、8回は取り返しているということ。
実際の戦歴は勝ち負けを繰り返していたみたい。

相手も弱かったかと言われればさにあらず。
関東の名門・佐竹氏結城氏、果ては北条氏康上杉謙信とも一戦交えています。

相手がどれほど強いか分かっていただけるかと。
これで「戦国最弱」とは全くの誤解だと、分かっていただけましたでしょうか。

最弱というイメージがつきまとうのは、防衛戦で負けてばかりというの大きいでしょうか。
しかしそれは佐竹方も同じ事で、いかにこの城の守りが弱いか想像できます。

守りに向かない広大な土地は、裏を返せば農地が豊富ということ。
水運で霞ヶ浦ともつながっていて、豊かな国であったと推測できます。
佐竹氏が何度も狙ったのは、この城が常陸南部の要所であったのではないでしょうか。

また小田氏は、領民と非常に良好な関係を築いていたということ。
城に領民を招いて茶会をしたり領民の手引きで城を奪回したり

奥に見えるのは筑波山
東池跡。こんな景色を、身分に関係なく眺めていたと考えると。

何度落とされても小田氏治がこの城にこだわったのは、
実は領民のためではないかと思うんですね。そう考えると、

めっちゃいい殿様やん?

この城が今なお地元の人たちに愛されている事が何よりの証左。

また小田城跡歴史ひろば案内所では、小田氏と小田城についての展示物が充実。
鎌倉時代から続く名門・小田家の歴史は見応えがあります。

そしてこの案内所、廃線となった筑波鉄道の常陸小田駅跡にあります。

原形をとどめたホーム。建物は駅舎跡に建てられた小田城跡歴史ひろば案内所。

地図を見ると不自然に真っ直ぐ整備されたサイクリングロードは線路の跡。
実はこの小田城跡、中世の城跡近代の廃線が一度に見られる貴重な場所なのです!

参考情報および関連リンク

ゲットした場所の地図

リアルゲッターのメモ

  • 県道53号から小田城に入る道は非常に分かりにくい!
    • 土浦方面からならガソリンスタンド、下妻方面からなら郵便局を通り過ぎたあたりで、
      カーブミラーのある丁字路を曲がる。案内板もあるけどすごく小さい。
  • 駐車場は案内所の左隣(南側)に、比較的余裕のあるスペース。
  • 遺構一つ一つに案内板による解説があるので分かりやすい!
    • 本文中のエピソードは、たぶん現地の案内板を読んだ記憶と思われ。間違ってたらゴメン
  • 廃線跡については特に解説無し。城がメインなので仕方ない。
    • サイクリングロードに廃線の遺構がゴロゴロあるみたいです。
  • 超余談ですが……筆者のご先祖様がこの城にいた可能性大。もしや呼ばれたのでは(笑)

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